はじまりはレコメン。

 

わたしは関ジャニ∞がすき。

FCに入ったのはわりと最近だけど。いわゆる永遠の新規っていうやつですね。7年目になるのかな。サキナといいエイトといい、2011年はわたしにとってのターニングポイントだったのかもしれない。

 

エイトを、よこひなを、横山さんを、すきになるきっかけはレコメンだった。

 

中学生の頃からラジオをよく聴くようになって、深夜のラジオをお供にテスト勉強や受験勉強していた。なかでもすきだったのが木曜日のレコメンと、土曜日の福山雅治魂のラジオ。(純真無垢だったわたしが下ネタを覚えたのは魂ラジのせいです)

 

翼担だったわたしは to base 目当てにレコメンを聴き始めた。正直言ってデビューしてすぐの頃のエイトはあんまりすきじゃなくて、デビュー曲も変な歌…と、鼻で笑ってたとこある。(いまはすきだけど)

特によこひなは苦手だった。わたしはタキツバのファンだったから、ふたり(滝翼)への妬み嫉みの話を聞くのは良い気分がしなかった。

『俺たちが売れへんのはあいつらがおったからや〜』っていうやつ。今では笑える鉄板ネタだし、滝様や翼くんのことがすきだからこそ言えてたことなんだなって分かるけど、当時のわたしはモヤモヤした。

 

2005年。

レコメンで大阪レイニーブルースが初解禁された。衝撃が走った。なにこの曲…すき。

高校に入ってわりとすぐの頃だったと思う。あいうえお順で後ろの席だったやまぴー担の子に、関ジャニ∞の新曲がやばい!とすごい熱量で語った記憶がある。

発売日が待ち遠しかった。ジャケット変だけど(笑)改めてCDで聴いてやっぱりこの歌すきだな〜って思ったし、何よりカップリングのheavenly  psychoも最高だった。毎日聴いた。

 

曲がすき、からエイトにちょっとずつ関心を持ち始める。レコメンも、よこひなの部分は流していたけどちゃんと聴くようになった。いつのまにかふたりの愚痴や悪口がおもしろおかしくて、このふたりすきだな〜って思うようにもなってた。長年のツレ、悪友。そんなかんじ。(滝翼は夫婦。アーサーは滝様に手作り弁当こさえてた時がある)

ときどき滝様がスタジオゲストの回があって翼くんも生出演して、よこひなとたきつばの4人で『レコメン四天王』とかいう企画をやってた(はず)。だいすきなひとたちがラジオでわちゃわちゃしてるのは最高に楽しい時間だった。

 

忍たまのエンディングを聴いてまた衝撃。桜援歌。なにこれすき!!!で、3rdシングルも購入。無限大…うん、すき。表題曲も賑やかで関ジャニ楽しいなあ〜って、いつのまにか茶の間ファンになってた。(あれこれあったのも含めて、応援したかった)

 

2007年。

有閑倶楽部の菊正宗清四郎様に一目惚れをする。これがあのラジオのおにいさん?嘘でしょ…清四郎様やばい。すき。でもラジオを聴いたらめっちゃ横山さん。なにそのギャップ〜すき〜〜〜って思ったけど、掛け持ちするという考えはなかった。わたし、一途なので…←バカ言ってる

 

2008年。

進学した先で、ちびっこりょうちゃんのときからのりょうちゃん担と仲良くなった。またあいうえお順で、後ろの席の子だった。

その子の家で鑑賞会をすることになって、初めて観た47コンにまた衝撃を受ける。やすだくんって天使なの…?ってガチで聞いた。

友だちが寝落ちた後も、眠い目を擦りながら夢中になって47のメイキング最後まで観て、素顔のビデオも4巻イッキ見。Jr.名鑑もくまなく読んで、金髪の香り立つような美少年にマジで恋する5秒前。この頃からきみくん呼びが定着する。(お友だちがきみくんって呼んでたから)

 

その年のライブ、一緒に行こうって約束してたのに急に行けなくなったごめんね〜って言われたのはショックだったなあ。もしあのときライブに行けてたらもっと早くFC入って、もっとたくさんエイトとの時間を共有できたのかもしれないなって思うと未だに悔しい。でも全てのことは最善のタイミングでやってくるんだよね。今なら分かる。まだそのときじゃなかったんだな〜って。

 

 

ところでこんな長くなる予定なかったんだけど。ただ、よこひなのレコメンの話がしたいだけだったのになんか年表になってるじゃん。相変わらず文章まとめるの下手くそだな。だから論文で落ちるんだぞ←

 

 

それ以降のことは前々回の投稿のとおり。実習で忙しくなったりいろいろあって、本当にいろいろありすぎて、ラジオもまともに聴けないし、エイトゴトも、滝翼ゴトすらちゃんと追えなくなってた。いろんなものと距離を置いて、どんどん心荒ませてた。そんな時に聴いたLIFE。沁みた。テレビを観るのもつらい時期だったからこれもたぶんレコメンで聴いたんだと思う。LIFEはいつ聴いても涙腺ゆるむ。

 

2011年。初5大ドームツアー。

友人にお願いして、連れて行ってもらった。これからも生きていくために、気分転換が必要だと思った。現実逃避したかった。初めてのエイトのライブ。月9でツブサが気に入って久しぶりにシングルを購入。またカップリングが全曲すきなやつで。アルバムも聴き込んで、ライブに臨んだ。ワクワクよりも緊張した。

アリーナ席で、外周の近くだった。めがねをかけた黒髪の美しいひとが、客席を見下ろして、手をひらひらさせながら歩いて行った。完全に堕ちた瞬間だった。

むり…あのひと…やっぱりすき…。担降りというものを決心した。だってあの日の横山さんは、ずるいよ。

すぐにFCに入って、番組録画したりレコメンもまたちゃんと聴くようになった。期間は少し空いたけど、相変わらずの空気感。よこひなのわちゃわちゃはわたしの救いで、木曜日は特別だった。

 

 

ここからはわたしの主観。

 

気のせいかもしれないけど、ヒルナンデスが始まったくらいからラジオの雰囲気は段々と険悪になっていった。ひなちゃんは何かにイライラしているようで語感がキツかったし、横山さんはスタッフさんにガチでキレたり。なんだかなあ…って思っていたら、横山さん卒業。。

 

いろんなひとが言ってるようにどうしてか分からないけど、よこひなのレコメンってずっと続くんだと思ってた。木曜日の夜にふたりの声を聴けるのが当たり前になっていた。当たり前のことなんかひとつもないのに。永遠なんて、終わらないものなんてないのに。でもそう思わせてくれてたふたりって、ある意味すごい。

 

かなりショックでさみしかったけど、ヒルナンデスでふたり揃った姿を見れた。やっぱり木曜日は特別だった。

 

横山さんが卒業する少し前にすばるくんが出た回は、ぶっ飛んでた。おっぱい談義。乳と呼ぶかおっぱいと呼ぶか。ええ子はええ乳。とにかく最低なラジオだった(褒めてます)すばるくんの迷言をひなちゃんときみくんでフォロー。すばるくんがいい仕事してくれた回だった。

おっぱい番長がゲストのときは施術を体験中の女性に『声出してええんやで?』って言う村上さん。「おまっwその言い方はアカンw」すかさずつっこんでくれた横山さん。そこは『喋って感想教えてくれ』だよ、ひなちゃん(笑)

 

横山さんが卒業した回のレコメンは一度も聴き返してない。泣くから。

横山さんが聴いてね、って言うから。まるちゃんにバトンタッチして一番最初の放送。ひなちゃんの話し方がとても優しかった。めちゃくちゃ優しかった。それがさみしくて悲しくて。それ以降レコメンは聴けなくなった。まるちゃんが悪いわけではないけど、レコメンはレコメンじゃなかった。

 

 

2018年、3月22日。

大阪太郎とか、春川楓とか、プロアクティブとか。。懐かしいなあって振り返るひなちゃんとこんなことやってたんすか〜!と、ばどちゃん。

 

0時のOPトーク

『きょうは酒飲みたいって言ったら準備してくれてん〜』

『わーい飲みましょ飲みましょ( ˆoˆ )/』

to baseが終わって一曲流れたあとの第一声。

 

『きょう(酒)飲めるって聞いて来たんやけど…』

 

夢かと思った。

 

5年も経ってたんだね。ずーっと。もうずーーーーっと、さみしかった。

 

ひなちゃんの声音はパッと明るくなった。嬉しそう。

 

イフオアの千秋楽に横山さんが行った話。褒めて褒めて状態のひなちゃん。『おま…オメェ、すっげぇな(笑)悟空もびっくりやぞ(笑)』圧にやられる横山さん。

横山さんは大人になった、と逆に褒めるひなちゃん。照れまくる横山さん。あー…レコメンしてるわ…(※引用:にしきどりょうちゃん)

 

大人やから言わんだけで愚痴とか悪口は本気出したら今でも言えるけどな!と言った横山さんと大笑いするひなちゃん。だいすきなレコメンが帰ってきた瞬間だった。

レコメンしてる間に聴こえる氷の音が、またすてきだった。5年経ったらお酒飲みながらラジオしてるんだよ。かっこよすぎるよ、よこひな。

 

どんな想いでイフオアに行ったのか。レコメンの現場に来たのか。それは想像しか出来ないけど、あのときのさみしいとか悲しいとか不安な気持ちは間違いなく解消された。

ひなちゃんのことだけじゃなくて、あのとき置いていかれたやり場のない気持ちを、さみしかった5年間を、迎えに来てくれたような気がした。わたしもこれで、ふたりとレコメン卒業できる。そう思わせてくれた。

 

ずっと一緒に居たら、どんなにすきなひとだったとしても拗れることってきっとある。倦怠期(?)を乗り越えたいまのよこひなは良い感じの距離感で居れてるんだろうなあ〜

 

先週ですっかり心がふらいあうぇ〜してたけど、今週こそが本当の本当に、ひなちゃんの卒業。心して聴きます。

少し早いけど16年間、お疲れさまでした。そしてイフオアも10年間300回公演、お疲れさまでした。次に帰ってくるときはわたしも内緒話、聞かせていただきたいです。