アイソトープ治療、完了。

 

7:00am 家を出発。

高速に乗って9:00am頃、A病院到着。

 

採血の結果が出るのに約1時間掛かるので、受診の1時間前には到着していなければならない。

 

診察室の扉が開いて、中へ呼ばれる。

 

Dr.の第一声

『いや〜!お疲れさまだったね!がんばったね!まあまあ、とりあえず座って!』

 

診察室、というよりもちょっと愉快で気ままなおじさんとのお喋りを楽しむ場所みたいだなっていつも思う。受診に来るのは4回目、かな。

 

手術をしたA病院の紹介でB病院に1週間の入院、そのうち2泊3日のアイソトープ治療を無事に終えて

2日前からは晴れてヨード食事制限からも解放された。

 

Dr.『どうだった〜?さみしかった?』

 

「さみしいというか、悲しかったです。汚染されたタンパク質の塊みたいな気分。それを扱うように接せられて悲しかった。」

 

***

 

アイソトープ室(RI室)は頑丈で分厚くて重たい扉の、そのまた向こうに、ふた部屋あった。わたしの他にもうひとり患者さんがいるようだった。

 

想像していたより部屋は広かった。以前住み込みで仕事したときに借りていた寮くらいはあった。

だけど古くて、めちゃくちゃ古くて。ベッドも古いパイプのやつ。他にはテーブル、テレビ。洗面台とトイレは同じ個室にあった。お風呂はなし。窓はあるけどすぐ外が壁。光が差すことはなかった。

 

入室してしばらくすると、黄色いガウンと帽子を纏ったドクターが二人やってきた。紙コップに放射性物質が入ったカプセルが2錠。肌色をしていた。ピンセットでそれを渡されるとすぐに口に入れて、水で流し込む。このときは普通の “カプセルの薬” を飲んだ、という感覚。

 

そうしてドクターは去って行って、わたしの孤独な2日間が始まった。

 

段々と身体がだるくなって、RI室では眠ってばかりだった。もしくはテレビを見るしかできなかった。

スマホは持ち込めたとしてもそもそも電波がないから使えない。雑誌などの持ち込みは許可されていたけど、基本捨てなければいけない。もしくは徹底的に放射性物質が検知されなくなるまで洗浄されて返ってくるのを待つしかなかった。本を捨てるなんてわたしにはできないし、かと言って洗浄期間を待つのも…

 

ということで寝ている以外はテレビを見て過ごした。日中のワイドショーではセクハラかパワハラか嘘つきの話題ばかり。見てるだけで病むのでEテレにお世話になった。ガンコちゃん、アシベ、忍たま天てれ…懐かしかった。

 

それにも飽きて横になって、ふと天井を見あげたとき、見つけてしまった。天井に手形があった。ちょっと怖くなった。こんなホラーな部屋で2日間過ごすのか…心細かった。

 

そして部屋中にはあのマークのついたテープが、至るところに貼られていた。

 

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これが部屋中のあちこちに。室内用とトイレ用のスリッパにも付いていた。わたしは放射性汚染物質。危険な存在。このマークがすっかり怖くなってしまった。もうしばらくは見たくない。

 

身体はどんどん怠くなって、 リンパ節や、甲状腺のあった部位が腫れ上がってきた。唾を飲み込むのも、食事をするのも、会話をするのも、つらくなった。そしてのどが焼けるようにヒリヒリしてやけに渇く。そのうち吐き気もしてきて、ごはんも食べられなくなった。

 

つらい、痛い、さみしい、こわい…早くここから出たい。大人げもなく、泣いた。

 

時々様子を見に来てくれる看護師さんはみんな優しくて、束の間でも人の顔を見るとほっとした。看護師さんたちもやはり、黄色いガウンと帽子を身につけていたけれど。

 

黙ってても喉が渇くので、1日2リットルの水分摂取ノルマはあっさり達成した。

 

 

退院できるかどうかの検査を2日目の夕方と、退院する日の朝に行なった。細い棒のようなものを身体に当てられ、狭いトンネルの中に入れられて、体内に残っている放射線量を測った。線量は排泄物と共に体外に出されることで減っていく。そのための水分ノルマだった。

 

狭いトンネルの天井は鼻スレスレまで近付いてくるから、潰されそうでちょっと怖かった。閉所恐怖症のひとなら怖くてたまらないと思う。

 

検査をクリアして、そのまま受診、退院手続きをした。

 

病衣ではなく、ちゃんと服を着ている。たくさんひとがいる(患者さんたち)。病院の大きな窓から光が差している。

刑期を終えて刑務所から出所したひとの気分だった。

 

『シャバの空気は最高だぜ〜!』

 

病院から出て、外の空気を吸い、太陽の光を浴びながら心の中で呟いた。

 

帰りは両親が迎えに来てくれた。病院から車で行くと近いので、北海道神宮へ寄ってもらってお参りした。

 

元巫女のわたくし。時々、神社のツンとして澄んだ空気と神様パワーが無性にほしくなるのです。

 

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入院するときに見頃だった八重桜も散り始めていた。ふわっと落ちてきたから、退院祝いかな?と勝手に思いながら、持ち帰った。


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おめかしすばキティ。きゃわ♡♡

 

ヨード制限がまだ続いていて外食はできないので、母がおいなり寿司を作ってきてくれた。帰り道の途中の広い駐車場で、両親と一緒に食べた。こんなにおいなりさんって美味しかったけ…美味しすぎて涙が出そうだった。

 

当たり前のことなんてひとつもない。病気して、手術をして、食事制限をして、アイソトープをして。それをする毎に強く思うようになった。

 

息をしてるだけ、すごい!朝、目が覚める。きょうも生きてる。すごい!

 

***

 

Dr.『雑誌持ち込んで入ればよかったのに〜。なんだっけ…ほら、VOGUEとか?』

 

「VOGUEはちょっと…違うかなあ…」

 

『分かった!non-noとか!』

 

「non-noはもう少し若い子向けです、先生」

 

『それぐらいしか分かんないなあ…テレビは何観てたの?政治とか強くなった?』

 

Eテレ観てました。ガンコちゃんとか…」

 

『ガンコちゃん!(笑)お母さん、この子変わってるね〜!わはは!』

 

わたしと先生のやり取りがおかしいらしくて、医療事務さんと立ち会い看護師さんはずっとクスクス笑っていた。先生の診察はいつもこんな感じ。

 

『もうしばらくはゆっくりしてもいいと思うよ。やりたいと思うことだけやればいい。やらなきゃ、はダメ。苦しくなるからね。楽しいことだけやってね。あ、花好き?ガーデニングとかオススメだよ〜!これ見て!俺が育ててる花たち!』

 

頼んでもいないのに自分のガーデニングコレクション写真を見せてくれた。イカツイ見た目からは想像つかない、ピンク色のかわいい花を育てていた。

 

手術の傷も診てもらった。『うんうん、きれいだね。我ながらきれいな手術創だ。もう少ししたらほんとにきれいに目立たなくなるから。大丈夫だからね』

 

病気の話はほとんどせずに、お腹が痛くなるくらいたくさん笑って診察室を出る。先生に会うと本当に元気が出る。こんなに距離の近い先生は初めてだ。

全然偉そうじゃなくて、ひとりひとり患者さんの性格を話しながら把握して。一緒に仕事している事務さんや看護師さんは楽しいだろうなあと思う。時間もお金も掛かったけど、3つめの病院で良いDr.に出会えたわたしは幸せだと思う。

 

次はB病院に1ヶ月後。A病院に2ヶ月後。もうしばらくは札幌に定期通院しなければいけないけど、わたしはきっと元気になる。心も体も元気になる。

 

あたりまえのことなんてひとつもない。これを知ったわたしは少し成長したと思う。これを知るためにわたしは病気になったのかもしれない。

 

まいにち感謝しながら、与えられた命、全うします。

 

***

 

RI室にいる間、夜中にコンコンとノックの音がして。返事をしたんだけど応答がなかった。あれは、なんだったんだろう…天井の手形といい、ちょっとしたホラー体験もした、アイソトープ治療でした。