9月6日

 

早朝から出掛けられるように荷物をまとめたあと、ちょっと仮眠を取ろうと思った。でもいつのまにかぐっすり眠っていたらしい。

 

3時を少し過ぎたころ。

けたたましくスマホのブザーが鳴った。寝坊して、寝ぼけて飛び起きたんだと思ったけど違った。

 

まもなく大きく揺れ始めて鏡が割れ、瀬戸物が割れ、飾り棚が落ち。揺れはなかなかおさまらない。その間にプツッと停電の音。

 

揺れはおさまったけど、心臓のバクバクが止まらない。暗闇の中、枕元のめがねを探して、スマホの灯りで部屋を歩いた。素足だったので鏡の破片で足の裏を切った。チクチク痛い。

 

リビングに降りると、父が懐中電灯を持ちラジオをつけた。震度6以上の地震です、とラジオから聞こえてきた。

 

頭が真っ白になったままぼーっと窓の外眺めてたら夜が明けていった。

 

 

 

8:00の飛行機で東京へ向かうはずだった。

 

停電で信号が付いていない、余震は続いている。電車やバスは全部運転見合せ。でも空港は飛行機を飛ばす準備をしているらしい。

 

電気がつかないから身支度がままならない。何よりもメンタルがすっかり参ってしまっていた。車で行けば間に合うかもしれない。でも、身体が動かない。頭が回らない。

 

ぼんやりしているうちに、飛行機の欠航と空港封鎖の報が届いた。

 

よかった。これで諦めがつく…と同時に涙が止まらなかった。

 

東京行きは、わたしの念願だった。

 

 

がんって誰でもなるんだって分かってからはやりたいことは全部やるって決めた。

 

手術して体力がっつり落ちて、食事制限してアイソトープ受けて。我ながら十分がんばったと思う。

 

体力落ちてるし人混みでパニクるから不安もあったけどでも、行きたいと思った。

自分自身への挑戦だった。悩みに悩んで飛行機のチケットを取った。ライブに同行させてくれるひとも見つかった。

 

会いたいひとはたくさんいた。何人かに連絡をしたけどアポが取れないひともいた。そんななかで絶対会おうねって言ってくれる人もいた。こんなわたしでも会おうと言ってくれるひとがいるのが嬉しかった。

 

某番協と、映画公開初日舞台挨拶も期待していた。実際には舞台挨拶への登壇は無し、番協は外れた。たのしみにしてた予定は無くなった。

 

だから野球を、鎌ヶ谷に野球を観に行こうと思った。すきな選手が野球をしてる姿を、元気な姿を一目見たかった。

 

この遠征は、快気祝いの前祝いだ。

 

 

 

 

一瞬で叶わなくなった。

 

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、東京行きは本当に念願で、挑戦だった。これが達成できたらわたしはきっと何でもできる。そう思っていた。

 

あたりまえのように身近に楽しいことが溢れるまちに住むひとには、健康な身体があるひとにはこの覚悟分からないと思う。何それっぽっちのことで落ち込んでるのって、バカにされるんだろう。

 

飛行機取ったあとも、何度も不安になった。大丈夫かな、大丈夫かなって。でも行くって決めた。この覚悟をなくしたらきっとまた立ち直れなくなってしまうと思ったから。

 

がんばり方が足りなかったのかな。何か足りないことがあるからご褒美ももらえないのかな。だから罰が当たったのかな。

 

わたし、何をがんばればいいんだろう。

 

ここまでがんばってきたつもりなんだけど。

 

これ以上は何をどうがんばればいいのかわからない。