高嶺の花
2018年8月8日。エイトの日。
残暑お見舞い、申し上げます。
こちら北海道は20℃くらいの気温で、寒い寒いと夜を明かしております。なかにはヒトケタ気温のところも。風邪引くわ。
今夏のドラマは結構面白いものが多くて、
(月)絶対零度、ラストチャンス
(火)義母と娘のブルース
(水)高嶺の花
(木)グッドドクター
(金)透明なゆりかご、dele
(土)サバイバルウェディング
うん、毎日ドラマ観てる。
あと野球と朝ドラは欠かさず。
なかでもささるのはサバイバルウェディング。
わたしには結婚願望はないけど、アラサー女子のリアルが描かれていて、上司である伊勢谷友介の言葉にめちゃくちゃ励まされる(わたしが)。あとかざぽん、おまえはぶん殴らせろ←
…話が脱線しそうだからまたあらためて。
今回は石原さとみちゃんのドラマ、『高嶺の花』のお話。
内容がゲスい上に暗くてドロドロしているし不必要じゃない?ってくらいお色気がふんだんに盛り込まれてるけど、さとみちゃんの美しさから目を晒すのが惜しくて、欠かさず観ている。
かわいいのにお高く止まらず、気さくで、憎めなくて、さとみちゃんはいつだって女の子の憧れの存在。もしも今回の役柄『もも』がさとみちゃんの素なんだとしても絶対許されちゃう。かわいいってトクだ。むしろもも様とお呼びさせてください。
今回のドラマでお着物を纏っているときのさとみちゃんは凛として美しいし、夜の蝶なさとみちゃんは本当に蝶のように煌びやかだし、私服はキレイかつかわいい。
わたしも何年か前に夜の蝶ドレスを着せてもらったことがあるけど、全っ然。イモがドレス着たってただのイモだったわ。ドレス着用のお店じゃなくてよかった。
イヤリングとか帽子とか、小物まで毎回かわいい。
『失恋ショコラティエ』や『校閲ガール』のときもそうだったけど、身に付けているお洋服がとにかくかわいい。かわいいお洋服はさとみちゃんが着ることでそのかわいさが倍増する。
かわいいひとに着てもらえるお洋服って幸せものだなあと思う。
石原さとみちゃんはかわいい。元々のお顔がかわいいからだろうか。それもあるとは思う。
だけど『かわいい』の理由は本当にそれだけだろうか。高嶺の花は本当に高嶺の花なのか。
女優さんに対して言うことではないし、お前は何様だって感じだけど『きみはペット』で初めて見たときのさとみちゃんは、ちょっといもくさかった。
この人がMJの元カノ役〜?そんな印象だった。(当時はMJとは呼ばれてない)(そういえばこのときはMJがモモだった)
女優さんや俳優さん、アイドルが可愛かったり美しかったりかっこいいのは
『可愛い、キレイ、カッコイイ、だいすき、最高!』っていう言葉をくれる人たちがたくさんいて、その言葉に自信をもらうから。
自信のあるひとは美しい。
そして『見られる仕事だからキレイにしておかなきゃ』という意識が何よりひとを美しく魅せる。
ある種、潜在意識とか言霊なのかなあ、と思う。
キレイな言葉を掛け続けたらキレイな花が咲くし、汚い言葉を浴びせたら枯れてしまうっていうやつ。
お水も言葉に反応するんだって。美しい言葉を浴びたお水は美しい結晶をつくるし、汚い言葉を浴びたお水はいびつなかたちの結晶になる。
ヒトの身体の6〜7割は水で出来ている。だからその水を美しく保つために、なるべく美しい言葉を発し、美しい言葉を浴びましょう〜って。
この前のセミナーで聞いた。
潜在意識は誰が誰に言った言葉かを区別しないから『可愛い!キレイ!カッコイイ!』を浴びせ続けたら本当に美しく、カッコよくなっていくし、
逆に『わたしなんてキレイじゃないし…』ってことを思い続けていたら“キレイじゃない”っていう現実を呼び寄せてしまうというという。
脳の力って不思議。
実際、石原さとみちゃんは並々ならぬ努力を…
と言ってもご自身のなかでは日常のルーティンに落とし込んでるくらい当たり前にそれらをこなしているのだろうけど、側から見聞きすれば相当な努力をされているように見える。
キレイになるためにはある程度の努力は絶対必要だと思う。楽してキレイになりたいなんてムシが良すぎ。
◯◯するだけでキレイになる!とか、痩せる!って謳い文句の商品が、わたしはすきではない。
楽して手に入れたキレイなんて一過性のもの。がんばったっていう自信が、キレイにつながるのに。ちゃんと段階を踏んで痩せなければリバウンドがあるし、美容医療にはダウンタイムが伴う。
元々キレイなひとは自分の美貌にあぐらをかいて、努力をしない。昔はキレイだったけどいまはどうしちゃったの…?っていう女優さん、何人か思い浮かぶ。
コンプレックスがあればあるひとほど、年齢を重ねたときその努力が実証される。努力をしてきたひとと、していないひと。年齢を重ねれば重ねた分だけその差が顕著になる。
あと、『わたしなんて…』って言って諦めてるひともすきじゃない。
私はキレイになんかならなくても良い、って言いながら一生懸命いろんなコスメを試すのはどうして?年齢を重ねるごとに肌にどんどんお金をかけるのはどうして?
素直にキレイになりたいって。言えばいいのに。認めればいいのに。
とか言っているわたしも、『わたしなんてどうせ』のひとだった。わたしはわたしの顔が嫌いだった。顔中ニキビだらけ。口の大きさの割に歯が大きいせいで、歯並びが良くない。
マシンでお手入れを始めてからはちょっとずつ鏡の中の自分と向き合えるようになって来た。
ひとより少し大きな耳はチャームポイントだと思えるようになったし、垂れ目でもつり目でもないアーモンド型の目も最近は気に入ってる。
自分のすきなところがひとつふたつ増えると、マシンのお手入れの成果が現れるスピードが早く感じるようになった。(前記事でも言ったけど)
大きなニキビができたり、なにか肌トラブルが起こっても大騒ぎして悩まなくなった。『大丈夫、すぐに解決する』って自己暗示をかけながらお手入れをしている。
高嶺の花になりたいとは言わない。田舎の平凡な家庭に育ったわたしが高嶺の花…ちょっと、どうだろう。もしかしたらなれるかもしれないけど(壮大な夢)
でも、きれいな花は咲かせたい。
だからきょうもわたしは、美顔器の鏡に映る自分に話しかける。
『これからますますキレイになろうね』
ドラマの挿入歌、エルビス・プレスリー。最高だなあ。沁みる。