看護師目指したら死にたくなった話

 

わたしは看護師を目指していた。

 

ある日の病棟実習で犯したひとつのミスを、実習担当のナースにひどく罵られた。学校の先生は助けてくれなかった。患者さんには拒否されて、わたしは落ちこぼれの学生扱いをされるようになった。実習は不合格。進級させてもらえなかった。

 

実習中は毎晩徹夜。それが何日も続いて、寝不足と、精神的に参っているところへ追い討ちを掛けるように浴びせられた罵声。堪えた。

 

不合格の学生は何人か居て、再実習をしてくれることになった。ただ、病棟に行くのがすっかり怖くなってて、実習が受けられる状況ではなかった。休学も留年もして、たくさん悩んだ。本当に看護師になりたいのか、もう一度がんばっていけるかどうか。でもやっぱり、病棟に行くのが怖くて。ナースステーションが怖くて。ナースが怖くて。続けられないな…って悟って、泣く泣く学校を辞めた。実習に行けないんだから、いつまでも学校にいる意味がない。わたしは看護師になりたかった。

 

いま世の中で看護師として働いている人たちはどうやって看護師になったの?勉強ができたから?要領が良いから?なんでそんな簡単に看護師になれたの?どうして?

 

あたりまえだけど、わたしの周りはみんな看護師になった。留年したり、国試に受からなかったりした子もいたけど、いまはみんな看護師をしてる。

 

いとこも留年したけど、いつのまにか看護師になってた。看護師をしている友だちの妹も、看護師になってた。なんで?どうして?わたしはなれなかったのに。

 

看予備のCMを見るたび、ケンカ売られてるような感覚になる。看護学校の前を通るだけで、舌打ちして看板を破壊したくなる。病院で白衣のナースを見るだけで、看護師の友だちと話してるだけで、強烈な劣等感を感じる。

 

病院に居たら、優しくない看護師がたくさんいる。なんであなたが看護師やってるの?なんであなたは看護師になれたの?ねえどうして?

 

応援してくれた人もたくさんいる。亡くなった祖母、わたしのことを『孫』と呼んで病室の窓から毎日手を振ってくれたおじいちゃん。受け持ちさせていただいた患者さんたち。

 

そして、留年したあと外部実習で行った病棟で指導をしてくれたナースマン。恐る恐る実習行ってたことを最初から知っていて、実習最終日によくがんばったね、君ならがんばれるよ、って。

 

言ってもらったのに。

 

期待に応えられなかったことが申し訳なくて、無能な自分が情けない。ずっとずっと悔やんで、責めてる。どうして頑張れなかったんだ、って。

 

 

あの日浴びた罵声に、わたしは未だに苦しめられてる。ふと瞬間に思い出しては涙が止まらなくなって、何も考えられなくなる。

 

指導者だったナースはわたしがいまもつらい思いをしてることなんか知らずに、どこかで看護師を続けてるんだろう。学校を辞めてもう7年も経つのに、何度も何度もあの日の出来事を夢に見て、泣きながら目を覚ます。

 

あの日以来、自分に生きてる価値を見出せなくなった。何度も死のうと思った。

 

死ぬ方法ってきっとたくさんある。でも高いところは怖いし、水も煙も苦手だし、死ぬときまで人に迷惑は掛けたくないし。

 

死ぬっていうのはとても勇気の要ることで。死ぬ勇気すら無い弱虫な自分。いっそ事故とか病気で死なないかな〜って思ってたら、ガンになったよね。(これがきっと、引き寄せの法則)

 

ガンっていっても死なないやつ。何その中途半端に苦しいの。死にたいって思ってるんだからとっとと死ねるのがよかったんだけど。

 

って、思ったのが半分。

 

ガンって聞いたときがーんってなるのは本当だったし(←ここ笑うとこ)、急に死にたくないって思う自分もいた。『ずっと死にたいと思っていた』けど本心ではなかったのかもしれない。だから中途半端なガンを引き寄せた。

 

生きるのってめんどくさい。苦痛でたまらない。

 

でも、だけど。嬉しいとか楽しいとかさみしいとかっていう気持ちを感じることが、わたしにはできる。完全に心が死んだわけではないみたいだ。

 

その嬉しいとか楽しいをくれる存在がある限り、生きてみるのもきっと悪くない。せっかく生かされた命。粗末にしたら罰当たる。

 

もうすぐ29になる。

29歳の目標は、わたしの20代に花を添えてあげること。

 

ハタチから、つらいことが多かったね。でもよくここまで生きてくれました、って。30歳のわたしに抱きしめてもらおうね。