彩り。
溜め込んでしまっていた洗濯をした。
すごくエネルギー使ったけど、ちょっとすっきりした。
特にここ最近は憂鬱感がひどくて、なにをするのも億劫で、身体がだるくて、やる気が全く出なくて、本を読んでも内容が頭に入らなかったり、すきだったものに嫌悪感を抱くようになったり。ずっとイライラするし、マイナス感情を抱えすぎているせいなのかいつも疲れている。1日の半分以上を寝て過ごすこともざら。
そんなだから、地震で高いところから落ちた物の片付けや整理が全っ然進まない。昨日やっと、壁に立てかけてた額縁を元に戻した。それだけ。
前から入っていた予定はキャンセルしないように、自分に鞭打って、奮い立たせて、乗り越えた。
乗り越えたあとは丸2日使い物にならないくらいポンコツ。
昨日は洗濯と、額縁を直せた。昼ごはんも食べれた。食べ過ぎて具合悪くなってまた寝てしまったけど。新聞の切り抜きの整理もできた。
できたことはそれだけ。それだけだけど。できなかったことを悔しがったり責めたりするよりひとつでも何か出来たことを自分で褒めることにしてみた。
おとといはポンコツだったけど
その前の日は友人に会った。帰り道には祖母の仏壇に供える花を買った。晩ごはんも作った。
その前の日には、友人と出かけた。長距離運転ができた。映画館が営業再開してくれたおかげで観たかった映画が観れた。うれしい。
理想の生活や他人の生活と現状を比べてたら狂いそうになるくらい悔しくて苦しくて辛いから、できたこと数えて、花に癒されて、犬たちとゴロゴロする小さな幸せをいまは大事にする。
『彩り』みたいな。
ギリギリ、人のカタチ保ってどうにかこうにかやってます。
生まれ変わったら渡り鳥になりたいな。
わたしのまつげはきょうもかわいい
地震から一週間が経った。
混乱と、不安と、月のモノのせいで感情は荒れ狂って、あたりまえのように平穏無事に楽しく暮らしてる人が憎くて憎くてしょうがなくて、暴言吐いて、いろんなひと傷付けて、困らせた。
どん底なときこそ、自己中心的でワガママな自分の本性が出る。
わたしは性格が悪い。今回の件で自覚せざるをえなかった。ずっと前から知ってたけど。
9月10日。
コンタクトして、日焼け止めクリームを塗って、眉マスカラして、まつげをビューラーしてマスカラして、ちょっとだけかわいい服を着て、ボトムは動きやすいようにデニムで、低いヒールの靴で、出かけた。
たったそれだけのことなんだけど、ちょっとだけ、気持ちが落ち着いた。穏やかになれた。暴言吐いて当たり散らしてた自分が恥ずかしくなった。
まつげがくるんと上を向いている。
わたしのまつげめっちゃかわいい。
つけましなくてもマスカラだけでこんなにかわいくなるわたしのまつげ天才では???
よくわかんないけど、そう思った。
心は褒めて褒めてって思っても、いくらご褒美が欲しい!と願っても、大人になったら誰も褒めてくれないし、良いこと全然ないから、手放しで自分のこと自分で褒めるしかないんだ。
日焼け止め、眉マスカラ、マスカラ。たった3つのアイテムで化粧した気になって、気分も少し良くなれちゃうわたし、めっちゃチョロい。
チョロいのできょうは、レースのトップスにサロペで出かけた。会った人にきょうのあなた素敵だねって言われた。髪型とリップ塗ってないのは減点食らったけど。笑
2日前と比べたら車通りも、まちを歩いている人の数も多かったように思う。
震源地ではお水も電気にも困っているひともまだたくさんいるし、余震も続いていて予断は許さないけど、ちょっとずつちょっとずつ元の生活が始められそう、かな。
『笑っても泣いても同じ時間が流れるなら、わたしは笑っていたい』と、今朝、朝ドラのヒロインが言っていた。
過ぎた時間はどう頑張ったって、泣いたって怒ったって戻って来ないと、きょう会った人に言われた。
文句や不満は山程あるけど、いまはグッと堪えて、自分にできることで復興に貢献したい。
わたし、結構有名な観光地に住んでるんですけど。
お客さんが激減しているようです。
異国かと思うほどいろんな言語や方言が飛び交っていつも賑わっているところに、嘘みたいに人がいない。
電気も水も、もう大丈夫なので。
何もないところだけど、空気は美味しいし、緑は目に優しくて、ごはんも美味しいです。もうじき紅葉も楽しめます。
ひとやまちは、ひとの力でしか元気になれないんです。
もう少し落ち着いてからでも構いません。
ぜひ、遊びにいらしてください。
9月6日
早朝から出掛けられるように荷物をまとめたあと、ちょっと仮眠を取ろうと思った。でもいつのまにかぐっすり眠っていたらしい。
3時を少し過ぎたころ。
けたたましくスマホのブザーが鳴った。寝坊して、寝ぼけて飛び起きたんだと思ったけど違った。
まもなく大きく揺れ始めて鏡が割れ、瀬戸物が割れ、飾り棚が落ち。揺れはなかなかおさまらない。その間にプツッと停電の音。
揺れはおさまったけど、心臓のバクバクが止まらない。暗闇の中、枕元のめがねを探して、スマホの灯りで部屋を歩いた。素足だったので鏡の破片で足の裏を切った。チクチク痛い。
リビングに降りると、父が懐中電灯を持ちラジオをつけた。震度6以上の地震です、とラジオから聞こえてきた。
頭が真っ白になったままぼーっと窓の外眺めてたら夜が明けていった。
8:00の飛行機で東京へ向かうはずだった。
停電で信号が付いていない、余震は続いている。電車やバスは全部運転見合せ。でも空港は飛行機を飛ばす準備をしているらしい。
電気がつかないから身支度がままならない。何よりもメンタルがすっかり参ってしまっていた。車で行けば間に合うかもしれない。でも、身体が動かない。頭が回らない。
ぼんやりしているうちに、飛行機の欠航と空港封鎖の報が届いた。
よかった。これで諦めがつく…と同時に涙が止まらなかった。
東京行きは、わたしの念願だった。
がんって誰でもなるんだって分かってからはやりたいことは全部やるって決めた。
手術して体力がっつり落ちて、食事制限してアイソトープ受けて。我ながら十分がんばったと思う。
体力落ちてるし人混みでパニクるから不安もあったけどでも、行きたいと思った。
自分自身への挑戦だった。悩みに悩んで飛行機のチケットを取った。ライブに同行させてくれるひとも見つかった。
会いたいひとはたくさんいた。何人かに連絡をしたけどアポが取れないひともいた。そんななかで絶対会おうねって言ってくれる人もいた。こんなわたしでも会おうと言ってくれるひとがいるのが嬉しかった。
某番協と、映画公開初日舞台挨拶も期待していた。実際には舞台挨拶への登壇は無し、番協は外れた。たのしみにしてた予定は無くなった。
だから野球を、鎌ヶ谷に野球を観に行こうと思った。すきな選手が野球をしてる姿を、元気な姿を一目見たかった。
この遠征は、快気祝いの前祝いだ。
一瞬で叶わなくなった。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、東京行きは本当に念願で、挑戦だった。これが達成できたらわたしはきっと何でもできる。そう思っていた。
あたりまえのように身近に楽しいことが溢れるまちに住むひとには、健康な身体があるひとにはこの覚悟分からないと思う。何それっぽっちのことで落ち込んでるのって、バカにされるんだろう。
飛行機取ったあとも、何度も不安になった。大丈夫かな、大丈夫かなって。でも行くって決めた。この覚悟をなくしたらきっとまた立ち直れなくなってしまうと思ったから。
がんばり方が足りなかったのかな。何か足りないことがあるからご褒美ももらえないのかな。だから罰が当たったのかな。
わたし、何をがんばればいいんだろう。
ここまでがんばってきたつもりなんだけど。
これ以上は何をどうがんばればいいのかわからない。
9月5日
珍しく北海道に大きな台風が来た。
無事に病院に行けるのか?なんて思いながらも朝になれば台風は過ぎた後で、母の運転のおかげでなんとか札幌の病院へ向かうことができた。
高速を降りたら信号が消えていたり街路樹が根っこから倒れていたりしたせいで渋滞していたけど。
今回の受診は造影剤の検査と、前回の骨の検査結果を聞くためだった。どっちも転移の確認。
いつもなら全然平気なのに、この日は血管に針を刺されて採血されて、ルートを取られてるうちにどんどん吐き気がして気持ち悪くなってしまって。ベッドで休ませてもらいながら検査を受けた。
造影剤が注入されるとこれまた気持ち悪い。吐き気がすごかった。吐き気はするけどCTを撮るから息を止めなければいけない。しんどかったー
検査の後、どれくらいだろう。しばらく外来のベッドで眠っていたらしい。診察の順番が来て説明を聞く。骨転移は今のところは見られないとのこと。リンパ節にある転移は経過観察。
薬で補ってるホルモンの数値も安定してるから次の病院は3ヶ月後でいいよ。台風来てたのによくここまで来れたね〜なんてまた他愛のない話をして診察室を出た。
病院のあとは、八紘学園でソフトクリームを食べて帰るのがすっかりお決まりになっていた。
よこさんくらさんが寄りかかってたやつ♡
台風一過というのだろうか。暑くて、カウンターで受け取った瞬間からソフトクリームは溶けていた。
(わりと最近まで台風一家だと思ってた。お騒がせ大家族っていう意味)
次の病院は11月末だから、今年の食べ納めでした。
帰り道はいつも高速を使わずにあちこち寄り道をする。
いつもの道にある信号は斜めになっていたり、街路樹が倒れていた。横断歩道の赤と青の信号はただぶら下がって、ゆらゆらしていたりした。凄まじい台風だったことがよく分かる。
とうきび畑は風で斜めになっていて、きっとこれは商品にならないんだろうなあ…と思うと切なくなったりもした。
この日は道の駅で休憩して、大きなお店に寄って母の靴を買った。
そうしてる間もわたしの頭のなかはあることでいっぱいだった。帰宅したら、アレをして、これをして…
今晩は眠れないだろうなあ。
そんなことを思いながら、帰路に着いた。
名刺を持つおしごと
10日も更新してなかった。。
病院とか遠出とか病院とかいろいろあって忙しかったのとメンタル落ちてた。うん、言い訳。
継続こそ力なり。短文でも続けていきたい。
***
サキナのお仕事に関わるようになって4年くらいになる。サボりながらで、本格的に仕事にしようと思ったのは、本当に最近なのだけど。
サキナのお仕事を始めるためには社内規定の資格が必要で、美顔器を使ったお肌のお手入れがきちんとできるかどうか、基本の知識はあるかなどをテストされる。
試験に向けてたくさんのひとのお顔で練習させていただいたし、いろんなひとのアドバイスをいただいて、細かい所作まで猛特訓した。
筆記の方はテキスト丸写しOKだったので問題なかったのだけど(笑)
実技の方は素人だし、他人のお顔を触らせてもらうのってすごく責任感があるなって、思った。
試験は100点満点中、100点。
実技では所作が優雅で美しかったです、とコメントいただいた。
おまえはダメなやつだって学生のときに完全否定されたわたしの存在価値を認めてもらえたようで、嬉しかった。
最近この話をしていて、実はサキナの試験で100点取ったひとってそんなに居ないらしいことが分かって。
『知識はまだまだ勉強中だけど、テストは100点だったんです!お手入れは任せてください!』って、自信持っていいよ〜
と、いつかここでお話しした魔女さんにおっしゃっていただいた。
その代わり、勉強は本当に必要よ。お客様の大切なお顔を触らせていただくんだから常に勉強してね、って。
容姿にも、肌にも、生まれ育った環境にも、自分の経歴にも、何もかもに自信がなくて。コンプレックスの塊で。
自信持っていいよ、って言っていただけてまた少し自信がついた気がする。
この仕事でやって行こう!っていう自信をくれたのも、初対面の方に容姿や雰囲気を褒めていただく機会が増えたから。
(お世辞は間に受けて喜んだもん勝ちです♡)
そのおかげさまで何もかもに自信がないわたしだけど、サキナのお手入れを続けてきた自分に、サキナの美容法を選んだ自分には自信が持てるようになった。
***
試験の合格のお祝いに、サキナの会社名とわたしの名前の入った名刺をプレゼントしていただいた。何枚あるんだろう。数えたことはないけど、4年経ったいまも全然減らない。
社会人になって自分の名刺を持つ仕事なんてしたことがなかったから、すごく嬉しかったこと、いま思い出した。
…あ、うそ。夜バイトしてたときは名刺持ってた。源氏名のやつ←笑うとこ
この名刺が全部無くなって刷り直さなきゃいけないくらい、たくさんのひとのお手入れをさせていただきたいし、喜んでもらいたい。
メンタル落ちて、がんになって、仕事辞めてニートになって。未だに仕事に就いてないことに引け目を感じていた。
だけどわたしは、名刺を持っていた。
名刺があるということは、自信を持ってサキナでお仕事してます!って言っていいんだって、気付いた。
サキナの仕事は保険の営業に似ている。正直まだお仕事としては全然成り立ってはいない。勉強しなければいけないことが多すぎて何から手をつければいいのか本当に分からない。
だけど胸張ってサキナアドバイザーの仕事を通して、たくさんのひとの肌を変えていきたい。
肌を変えることは人生を変えること。
肌を変えるために、サキナの美容法という選択肢があることをたくさんのひとに知っておいてほしい。
わたしがやりたいことはそれだけなのです。
いまのわたしにできること
雨が続いている。
雨が降ると、低気圧のせいなのか憂うつ感が増して、頭がズキズキ病んで、起きていられなくなる。今週は火、水、木ってひたすら眠ってばかりいた。
夢を失くしたわたしには何ができるんだろう。ずっと考えてきた。
何をやっても長続きしない。理由は分からない。いやほんとはなんとなく分かってる。上手く言葉にならないだけで。
わたしのこの10年の生き方を否定する大人はたくさんいた。そのたびに傷付いた。わたしだってこんな生き方するつもりは微塵もなかった。でもこうなってしまった。
誰のせいでもないんだろうけど、誰かのせいにしたかった。ただ責める対象がほしかった。理由なんてなんでもよかった。
大人たちには否定されるけど同年代の子たちは、あなたの生き方も素敵だねって言ってくれる。いろんな経験ができて羨ましいとも言われる。楽しいばっかりでもないんだけど、いつも楽しそうだって言われる。
だけど否定され続けてきたから。そんな言葉に救われたりもする。
わたしの20代、唯一続いてることがひとつだけある。
それはサキナのマシンでお手入れすること。サキナの仕事に関心を持って、関わり続けていること。7年。わたしの人生約30年のなかで、7年も続いたことなんかこれしかない。
体力も気力もない、いまのわたしにできること。
口コミでしか伝えることができないから、わたしに関わってくれる人にひとりでも多くサキナの美容法をお話すること。
来てくれたお客さんにキレイになってもらえるように、サキナのお手入れをすきになってもらえるように、願いを込めてお手入れすること。
こんなに自信のないわたしに、『あなたのようになりたい』と言ってマシンを愛用することになったお友だちのモチベーションを保って、キレイのお手伝いをすること。
肌の勉強をすること。
自分の肌を磨き続けること。
いまのわたしにできること。それくらいしかできないけど、がんばりたい。
『キレイになることは、人生を変えること』
わたしの憧れている美容家さんのお言葉。
わたしは肌のことだけだけど、彼女は独自に勉強されたお化粧の仕方、髪の巻き方、ヘアアレンジ、食事でキレイを目指す方法をキレイになりたいひとたちに教えている。
いずれ彼女の元で勉強してみたいなとも思っている。わたしのささやかな夢。
ほかにも勉強したいことは山程ある。
いまは難しくても、いっぺんには無理だけど、できることひとつひとつクリアして
『まいにちしあわせだ〜♡』が口グセになるような生き方がしたいなって。思ってる。
さて、こんな時間だけど。お風呂に入ってくる。
だいすきなラベンダーの香りのシャンプーはサキナの期間限定品。石けんもサキナのもの。この石けんで洗うと肌がふわふわふかふかになるとこがお気に入り。
眠るまえに、癒されてくる☺︎
高嶺の花
2018年8月8日。エイトの日。
残暑お見舞い、申し上げます。
こちら北海道は20℃くらいの気温で、寒い寒いと夜を明かしております。なかにはヒトケタ気温のところも。風邪引くわ。
今夏のドラマは結構面白いものが多くて、
(月)絶対零度、ラストチャンス
(火)義母と娘のブルース
(水)高嶺の花
(木)グッドドクター
(金)透明なゆりかご、dele
(土)サバイバルウェディング
うん、毎日ドラマ観てる。
あと野球と朝ドラは欠かさず。
なかでもささるのはサバイバルウェディング。
わたしには結婚願望はないけど、アラサー女子のリアルが描かれていて、上司である伊勢谷友介の言葉にめちゃくちゃ励まされる(わたしが)。あとかざぽん、おまえはぶん殴らせろ←
…話が脱線しそうだからまたあらためて。
今回は石原さとみちゃんのドラマ、『高嶺の花』のお話。
内容がゲスい上に暗くてドロドロしているし不必要じゃない?ってくらいお色気がふんだんに盛り込まれてるけど、さとみちゃんの美しさから目を晒すのが惜しくて、欠かさず観ている。
かわいいのにお高く止まらず、気さくで、憎めなくて、さとみちゃんはいつだって女の子の憧れの存在。もしも今回の役柄『もも』がさとみちゃんの素なんだとしても絶対許されちゃう。かわいいってトクだ。むしろもも様とお呼びさせてください。
今回のドラマでお着物を纏っているときのさとみちゃんは凛として美しいし、夜の蝶なさとみちゃんは本当に蝶のように煌びやかだし、私服はキレイかつかわいい。
わたしも何年か前に夜の蝶ドレスを着せてもらったことがあるけど、全っ然。イモがドレス着たってただのイモだったわ。ドレス着用のお店じゃなくてよかった。
イヤリングとか帽子とか、小物まで毎回かわいい。
『失恋ショコラティエ』や『校閲ガール』のときもそうだったけど、身に付けているお洋服がとにかくかわいい。かわいいお洋服はさとみちゃんが着ることでそのかわいさが倍増する。
かわいいひとに着てもらえるお洋服って幸せものだなあと思う。
石原さとみちゃんはかわいい。元々のお顔がかわいいからだろうか。それもあるとは思う。
だけど『かわいい』の理由は本当にそれだけだろうか。高嶺の花は本当に高嶺の花なのか。
女優さんに対して言うことではないし、お前は何様だって感じだけど『きみはペット』で初めて見たときのさとみちゃんは、ちょっといもくさかった。
この人がMJの元カノ役〜?そんな印象だった。(当時はMJとは呼ばれてない)(そういえばこのときはMJがモモだった)
女優さんや俳優さん、アイドルが可愛かったり美しかったりかっこいいのは
『可愛い、キレイ、カッコイイ、だいすき、最高!』っていう言葉をくれる人たちがたくさんいて、その言葉に自信をもらうから。
自信のあるひとは美しい。
そして『見られる仕事だからキレイにしておかなきゃ』という意識が何よりひとを美しく魅せる。
ある種、潜在意識とか言霊なのかなあ、と思う。
キレイな言葉を掛け続けたらキレイな花が咲くし、汚い言葉を浴びせたら枯れてしまうっていうやつ。
お水も言葉に反応するんだって。美しい言葉を浴びたお水は美しい結晶をつくるし、汚い言葉を浴びたお水はいびつなかたちの結晶になる。
ヒトの身体の6〜7割は水で出来ている。だからその水を美しく保つために、なるべく美しい言葉を発し、美しい言葉を浴びましょう〜って。
この前のセミナーで聞いた。
潜在意識は誰が誰に言った言葉かを区別しないから『可愛い!キレイ!カッコイイ!』を浴びせ続けたら本当に美しく、カッコよくなっていくし、
逆に『わたしなんてキレイじゃないし…』ってことを思い続けていたら“キレイじゃない”っていう現実を呼び寄せてしまうというという。
脳の力って不思議。
実際、石原さとみちゃんは並々ならぬ努力を…
と言ってもご自身のなかでは日常のルーティンに落とし込んでるくらい当たり前にそれらをこなしているのだろうけど、側から見聞きすれば相当な努力をされているように見える。
キレイになるためにはある程度の努力は絶対必要だと思う。楽してキレイになりたいなんてムシが良すぎ。
◯◯するだけでキレイになる!とか、痩せる!って謳い文句の商品が、わたしはすきではない。
楽して手に入れたキレイなんて一過性のもの。がんばったっていう自信が、キレイにつながるのに。ちゃんと段階を踏んで痩せなければリバウンドがあるし、美容医療にはダウンタイムが伴う。
元々キレイなひとは自分の美貌にあぐらをかいて、努力をしない。昔はキレイだったけどいまはどうしちゃったの…?っていう女優さん、何人か思い浮かぶ。
コンプレックスがあればあるひとほど、年齢を重ねたときその努力が実証される。努力をしてきたひとと、していないひと。年齢を重ねれば重ねた分だけその差が顕著になる。
あと、『わたしなんて…』って言って諦めてるひともすきじゃない。
私はキレイになんかならなくても良い、って言いながら一生懸命いろんなコスメを試すのはどうして?年齢を重ねるごとに肌にどんどんお金をかけるのはどうして?
素直にキレイになりたいって。言えばいいのに。認めればいいのに。
とか言っているわたしも、『わたしなんてどうせ』のひとだった。わたしはわたしの顔が嫌いだった。顔中ニキビだらけ。口の大きさの割に歯が大きいせいで、歯並びが良くない。
マシンでお手入れを始めてからはちょっとずつ鏡の中の自分と向き合えるようになって来た。
ひとより少し大きな耳はチャームポイントだと思えるようになったし、垂れ目でもつり目でもないアーモンド型の目も最近は気に入ってる。
自分のすきなところがひとつふたつ増えると、マシンのお手入れの成果が現れるスピードが早く感じるようになった。(前記事でも言ったけど)
大きなニキビができたり、なにか肌トラブルが起こっても大騒ぎして悩まなくなった。『大丈夫、すぐに解決する』って自己暗示をかけながらお手入れをしている。
高嶺の花になりたいとは言わない。田舎の平凡な家庭に育ったわたしが高嶺の花…ちょっと、どうだろう。もしかしたらなれるかもしれないけど(壮大な夢)
でも、きれいな花は咲かせたい。
だからきょうもわたしは、美顔器の鏡に映る自分に話しかける。
『これからますますキレイになろうね』
ドラマの挿入歌、エルビス・プレスリー。最高だなあ。沁みる。